雑誌「気刊アンダーライン」のコンセプト2つのうちのひとつを、「市井(しせい)の人々の価値」にしたのは、自分なりに理由があります。
確かに 「声なき声に耳を傾け、記事にして世の中に発信したい」という、格差貧困問題を考えたテーマもあります。
しかし、私がつくづく思う、また別の想いとして、「目立つ存在のありきたりなアピールより、一般大衆、庶民の、ひとりひとり違う、ユニークな生き様や想いの方が、それぞれみんな違っていて、面白みがあると思うのです。
なぜそのように感じるかというと、とてもベタな例で大変申し訳ないのですが、
「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」
「孤独のグルメ」
「出川哲郎の充電させてもらえませんか」
など、だいたいみんな同じコンセプトなのですが、一般庶民や大衆、食堂に入って行って、人、場所それぞれまったく違う、ある意味ユニークな面を取り上げる、それらが本当に見ていて飽きないし、何か、隣の家の居間や食堂、隣人を覗き見るような、ドキドキな感覚になるのです。
だから、私は取り立てて目立つ存在の、毎回だいたい同じで、代わり映えのない表現よりも、ある意味同じものはまったくないであろう、一般大衆、庶民、いわゆる市井の人々の生き様、想いに、非常に惹かれるのです。
だからこそ、私は市井の人々、ひとりひとりが持っている、唯一無二の生き様を取り上げたい。
普通なら大手メディアなどで取り上げられるはずもない、そんな市井の人々に、スポットを当てたいのです。
みんな、一生懸命生きています。
その生き様こそが、私には輝いて見えます。
前にも書きましたが、一度自己表現をして、記事で取り上げた人たちは、みんな照れ臭そうにはしながら、清々しい表情をしています。
現代は、IT化によって、みんなが自己表現できる時代になりました。
だけど、多くの人がまだまだ、自分から進んで自己表現する世の中にはなっていない。
だからこそ、そんな人たちの自己表現を手助けする、「気刊アンダーライン」を、これからも頑張って作り続けていこうと思います。